「まことゝいふは、くちと、心と、手と、この三つが、そろふて、しんのまことゝいふ。それ、いかほどくちで、誠のはなしするとても、しんにまことをさまりあれば、おこなひもそれにそふて、それ、すること、なすこと、にち/\つねに、いかなることも、みな、まことのやうにばかりなるであらう。けれども、心にまことをさまりないと、それ、どうもならん。
にち/\のすること、なすことが、くちではなしたことゝ、ちがふから、せかいから、それ、あの人はくちさきばかりうまい人や、いふことだけは、まことのやうなれども、などゝいふて、それ、はなしのりをもちひてくれぬやうになる。
そこで、くちと、心と、てと、そろふて、人々より、あゝなるほどのかたやなあ、どうもかんしんな人やなあ、たのもしい人やなあ、といはれるやらう。しんのまことで、とほらうとおもへば、そこで、一つたんなふといふりを心にをさめて、われはどうでも、人さへよくば、わしはもう、これでけつこうや、たとへ、このうへどのやうにならうとも、人さへたすかつてくれゝば、それでよい。なんでも、ひとにたすかつてもらはねば、ならんといふ、心さだめねばならん。」
特に注目したいのは最後の部分で、誠について、人さえ良ければ自らはこれで結構、たとえ自らがどうなろうとも、人さえ助かってくれればそれで良い。何でも人に助かってもらわねばならんという心を定めねばならん。と仰せられています。
誠とは自分と他人との隔たりがなくなり、人の苦しみを我が苦しみとし、人の喜びを我が喜びとし、人をたすける心になることとお教えいただくのです
誠とは「人をたすけること」
教祖は、いつも、「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」と、仰せになっていたと聞かせていただきます。
日々常に、人をたすけることを暮らしのなかで実行させていただきたいものです。